勝手にやって来る

【勝手にやって来る】

 

4月30日に日帰りで、覚醒の旅【京都異界の地巡りに行って来ました。実はこの覚醒の旅、当初2月に予定していました。

 

 

しかし、2月に積雪のため道路が雪で通行止め、予定していた神社さんの半分が行けれなくなり、参加者のみなさんに連絡して、急遽予定変更!3月に延期されました。

 


今度は、3月に延期したことで、行けれなくなった方が…。💦

 

 

そこで、再度お申込みを募り、4月であれば行けそうだとのお声があり、3月から4月にまたまた、変更することになりました。

 


この時に、グループLINEに私はこう書いていました。『これは、これで意味があるのだと思います。あとでわかるから面白い~』って…。

 

 

やっぱり、その通りと思えることになりました。京都異界の地を巡る【覚醒の旅】の翌日、参加してくださった方から翌日このようなLINEが…。

 

 

 

昨日もありがとうございました

覚醒の旅からの東京戻りは初体験だったところに、昨日のあの異界尽くしの1日は、流石にエネルギーが凄すぎて昨晩は爆睡でした (笑)

昨日訪れた神社さんは、感じることがとてもわかりやすい場所だったので、なおさら体感がいかに重要かということも痛感しました。

苔むした参道や朽ちた木々など、時の流れが凝縮されていて視覚的にも語りかけてくるものが多かったです。

伸びに伸びた開催日も、この季節だからこそ包み込まれる異界の素晴らしさを物語っていましたね。

どっぷり浸かってまだ朝はボーっとしてますが、あの貴重な世界観を密かに抜け出せない快感に浸っています。

 

 

 

 

予定していた2月や3月では、行く先々で苔むした参道や、春雨に濡れ若葉がキラキラ光った木々や山々を眺めることはできませんでした。

 


何でねん!と思うことも、きっと最高のことになる…って思っていたら、想像もしななかったこんな嬉しい体感が待っていました。

 

 

最近私は、有名な神社さんにお詣りしても、何も感じるものが無いんです。それよりも磐座やご神木が依り代となる地に行く方がより深く感じます。



それは、古代の人たちが、今のように情報も得ることが無い中、直感的に神様がいると感じ信仰の対象として大切にされていた地だからなのだと思います。こうした磐座やご神木への崇拝は、はるか縄文時代以前からあったそうですから…。

 

 

このように静かで神聖な 地に身を置き、感じていると、自分の内側と繋がってきます。

 

 

すると…、外に探しに行かなくても、焦って探しに行かなくても、向こうから勝手にやってくるのを体感して来るのです。


それは、私だけでなく、参加してくださるか方々にも同じようなことが起こってきています。

 

 

 

答えはすべて自分の中にある。

 

 

 

これをわかりやすく受け取れるのが『覚醒の旅』の醍醐味かもしれません。

 

 

 

 

”春雨”とリンクして素敵な和歌を見つけました。

 

 

 「梓弓 おして春雨 今日ふりぬ 明日さへふらば 若菜摘みてむ」

 

 

今日も最高な1日を…☆彡

 

 

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コメント: 1
  • #1

    みよ (火曜日, 02 5月 2023 08:58)

    なんて、素敵な歌!
    昔の人の感性❣️の素晴らしさ^ ^