ふと神社が生まれたわけ

下記の動画をご覧ください。


ふと神社のはじまり

 

「ふと神社」は“かずさん”と“ふーちゃん”の二人で運営しています。

今にして思えばこれまでの人生は「ふと神社」にたどり着くための旅だったような…

私たちが転びながらも歩んできたこれまでの軌跡を見てもらうことで
なぜ「ふと神社」になったのか?お分かりいただけると思います。

少し長くなりますが、お付き合いいただけましたら幸いです。



◆ どん底からの出発 ◆

 

私たちは、共に再婚で2013年に知り会ったのですが、当時は、それぞれに修羅場の真っ最中。

 

かずさんは、経営していた会社がしんどくなって苦しんでいて、翌年、倒産し自己破産して離婚。

一文無しになりました。

 ふーちゃんは、前の旦那さんと上手くいかなくて離婚寸前の中で、旦那さんが自死するという最悪の状態でした。

 

 

どん底を見たもの同士、何とか同じ方向を向いて歩こうと一緒に暮らし始めたのが2014年。

 

いろいろやってみたのですが、やはり、自分たちの店がやりたいと、2018年に大阪天神橋で和菓子の店「寿ぎ庵」を開店しました。

 なぜか「この店神社みたいですね」と言われるお客さんが増えて、軌道にも乗ってきたかなと思っていた矢先、今に続くコロナ禍が始まったんです。

 

 

それから、ほどなくして、かずさんの父親(一人暮らし)が具合悪くなり施設へ入ると同時に大腸がんが見つかり緊急手術。

 住んでいた家を片づけ処分したり、様々な雑務のために店を一か月以上も休業しました。


◆ 自分と向き合う ◆

 

戻って、店に入った途端、“ふと”、もうここじゃないな!っていう感覚が降ってきたので、即閉店し、次の場所の候補としてここしかない!と感じていた物件がある箕面に引っ越しました。

 

別に、店を閉めなくてもいいのに…

まだ、次の店も決まっていないのに…

 

その物件は箕面市が所有していて、箕面に貢献するプレゼンをして審査が通れば借りられるものだったのですが、

 

コロナ禍で審査会がいつになるか分からないと言われ、書類だけ提出しプレゼンを楽しみにしていたのです。

 

箕面のことを徹底的に調べました。

歴史や由来など知らないことだらけで、知るほどに素敵な所だと氣づきました。

 

箕面に日本最古の弁財天様がおられるのも、開祖の役行者様のお墓が箕面にあるのも初めて知り、なぜかご縁を感じたのです。

 

 

2ヶ月後、審査会が開かれ自信を持って臨んだのですが、結果はあえなく落選。

 

お客さんも、既に物件を知っているのにカッコわるぅ~。

それよりも、物件をまた探さないと店が開けない。

 

あぁ~、どうしよう…と一瞬は落ち込んだのですが

 

“ふと”降りてきたのです。

あの物件は今の自分には合わない。もっと良い物件があるということや!

 

それから1か月半は、あえて何もせずただ、自分と向き合い

 

「自分が本当に欲しいもの」

「自分の本当にありたい姿」

「求めてきた“幸せ”って何?」

 

を自分の内側に問い続けて、日々、自分を満たしていました。

 


 “ふと”に従って

 

そうしたある日、“ふと”

今まで考えたこともないようなアイディアが降りてきたんです。

 

庭のある民家を店として借りれないか?即、不動産屋さんに飛び込みました。 

すると、あり得ないような流れで今の物件と出会い、嘘のようにスムーズに契約を結ぶことができたのです。

 

それまでの店は店舗でしかできないっていう思い込みは何だったんだろう…

  

しかし、ここで大きな問題が。

 

天神橋の店を閉めてから3ヶ月の間は、二人とも無収入でしたので、当然のこと資金が底をついてきていました。 

契約はできるけど、設備や備品のお金がまったく無い。どうしよう…

 

ここまできたら、そんなん考えても仕方がない

とにかく開店しよう。

 

そう肚を決めて、足りない分(ほぼ全部です)をカードで決済し準備を進めたんです。

 カード請求額は、今まで見たこともない金額に膨れあがっていました。

 

何とか開店できる目途が立ち“ふと”思い立って箕面弁財天様へ開店出来ることの感謝とご報告に。

 

素敵なお守りも買ってルンルン気分

ありがとうございました。

 

そして、開店を翌日に控え、バタバタしている時に奇跡が起きたんです。

 なんと、まったく想定してなかった所から数百万円の入金が。 

なんか狐につままれたような氣分になりましたが、ありがたくいただきました。 

その金額は、翌月支払うカードの金額を十分に満たせるものだったのです。

 

これは、きっと弁財天さまのご加護。

そう思わずにはいられませんでした。

 

 

箕面に移ってからは、蓮根料理がメインだったこともあり、ありがたいことに予約で埋まる日が続きました。

 

しかし、しばらくすると、内側から湧いてくる違和感に氣づき、だんだん放置できなくなってきたんです。

 

何だろう、この違和感は?

 またまた、自己対話を繰り返していると自分の声が聞こえてきました。

 

普通に料理屋がやりたいんじゃない。

もっとお客さんの心を満たして

自分も満たせることがやりたい。

 

それって、どうゆうこと?予約は埋まってるし何がアカンの? 

 

そのとき“ふと”降ってきたのが、熊野三山へお詣りしたい。という一見、意味が分からないこと。 

が、翌日には熊野に居ました。そこで大きな氣づきをいただいて、三日後には龍穴神社さま、丹生川上神社さま、玉置神社さまを参詣し、それぞれの場で強いメッセージをいただきました。

 

 1ヶ月、店を休んでリニューアル。

やったことのない「会員制」にしてオープンしました。

 

自分を大切に敬う食事、慈しむ甘味の後は、自分と向き合う時間というコンセプトで。

 

また、なぜか神社にある御簾や几帳(それも本物)をしつらえた空間に仕上げて。

 

正直、離れたお客さんも多くて、不安にはなりましたが、新しく会員になってくださる方も。

 

また、新しく「覚醒の旅」という氣づきを得られる大人の遠足を始めてとても喜ばれました。

 


 次のステージへ

そして、この頃、ある講座を受けるために、ふーちゃんは禊の島「篠島」へ。

 

戻って、えらく篠島を推す圧に、背中を押されて翌月には皆さんとかずさんも篠島へ行ったのです。

 

篠島の神様を巡り、海を眺めていると“ふと”海水で塩を作ってみたら?

という想いが降ってきました。

 

なんで塩?だれが作るん?そもそも、どうやって作るん?

 

そうゆうもっともな声を無視して、意味もわからず翌月には篠島へ行き海水で塩を作っていました。

 

やったことがないのに出来たんです。

いつも胡麻豆腐や餡を作るように丁寧に向き合っていたら自然と。

 

作っていて感じました。

これは、この作る行為そのものが御神事ではないのかと。

 

出来上がった試作の塩を、ご紹介いただいた「篠島の母」という神と繋がる方に食べてもらうと

 

篠島の海水で塩を作るのが、皆の悲願だった。

それが今、目の前にある。と涙を浮かべられたのです。

 

私は、その時思いました。 塩作りをさせていただこう!

 

そこに、どんな意味があるのか、そんなことはどうでもいい。

 

それがキッカケとなって篠島弁財天様の復活祭に続き、2ヶ月に一度の弁財天様ご神事と篠島の神様巡りが始まったのです。

 

そこには毎回、寿ぎ庵の会員さまも参加していただき、自らを禊ぎ余計なものを落として心を軽くされています。 

 

そして、初夏のある日、突然、篠島の母からいただいたのです。

 

昇龍(青龍)様

降龍(紅龍)様  

二軸の掛軸を!

 

もう、びっくり。

受け取った時もそうですし異次元の間に掛けた時もそう。

なんとも言えない大きな力を、包まれるような感じを受けました。

 

その後、篠島の母は、寿ぎ庵にわざわざ来られて、

 

昇龍様、降龍様に祝詞を奏上し、直接息吹を入れてくださったのです。

 

その上に

“かずさん”には昇龍様の

「宝珠」を

“ふーちゃん”には降龍様の

「宝珠」を

 

龍神様のお告げとして授けてくださいました。

 

「宝珠」が身体に入った時の巡るような“体感覚”は今も鮮明に覚えています。

 

 

その直後から、龍神様の“意図”を感じるようになったのです。

 

以前から、「自分と向き合う時間」としてお客さまから現状の悩みをお聞きし

それにお応えすることで心を軽くしていただいてたのです。

それまでは、コーチングの手法で、その方の内側を掘り下げていたのですが、

 

龍神様の「宝珠」を授けていただいてからは、背後から龍神様の“意図”が感覚で飛んでくるように感じられるんです。

 

その感覚をお伝えすると、目の前の方は、内側から湧くようにどんどん氣づきが起こり、氣がつくとステージが上がってあたかも違う人になったかのように思えるのです。

(これが、謎ときです)

 

 

これは、この感覚は、どうにかして、もっとたくさんの方に感じていただきたい。

 

“謎とき”の深いレベルじゃなくても、もっと軽い感じに楽しみながらでも、龍神様の“意図”を感じていただけたら、心は、もっともっと軽くなるのでは?

 

“ふと”そう感じたのです。

 

それって、神社? 神社しかないんじゃない?

 

そう思うと、とてつもない恐怖が襲ってきました。

 

誰がやるの? えっ、おまえがやるの?

いやいやいや、それはアカンやろ!

 

そんな声が、あとからあとから、湧いてきて押しつぶされそうに。

でも、同時に、今まで感じたことのないワクワク感が。

 

龍神様の前で、龍神祝詞を奏上しながら

日に日に、首の後ろに感じるザワザワが強くなっているのも分かっていました。

 

はよぅせい!いつまでウジウジしとる!

そうゆう龍神様の“意図”も感じて。

 

 

観念して、お客さまに宣言しました。

神社になります!(めっちゃ怖かった)

 

すると、お客さまは

「そうなると思っていました…」

「とっても自然ですね…」

 

あれっ? そうなん?

 

拍子抜けするくらいにあっさり受け入れてくださったんです。

 

その途端、龍神様の前にある石が笑ったんです。

 

何年も見ているのにそんなこと初めてです。

そのうえ、下の方に烏帽子姿の人も浮かんで。

 

今はもう、そうにしか見えません。この石は、ご神石として大切にしています。

 

他のお客さまも同様でした。

ごく自然に受け入れていただいて。思い切り抵抗していたのは自分だった。

 

 

ここまで来られたのは、“ふと”に従って頭で考えずに、行動してきたからだと思っています。

 

それに何の意味があるのか? どんなことに繋がるのか?

 そんなことは一切考えず。

 

なので、神社の名前は【ふと神社】

 

 

龍神様からいただけるのは“ふと”です。 

“ふと”降りてくる氣づき。

 

 

ふと神社はお願いごとをするのではなく

 

龍神様から氣づきをいただく“ここにしかない”神社なのです。

 


 すべて繋がっていた ◆

少し前まで縁もゆかりも無かった篠島。

 

しかし、振り返ってみると、箕面の弁財天様からの弁財天様つながりとしか思えません。

 

“ふと”訪れた篠島で

“ふと”塩を作り続け

“ふと”ご神事に参加する

 

なんの意味があるのか考えずに、ただ、やりたいからやっていたら

 

篠島からおいでいただいた、昇龍様、降龍様の導きで「ふと神社」になりました。

 

 

ご神縁とも思えるご縁をいただき、昇龍様、降龍様を描かれ龍神様の宝珠を授けて下さった「篠島の母」は、まだ、寿ぎ庵に来られてない時に

「寿ぎ庵から天に光の柱が立っている」

「眩しいくらいの輝きが視えるよ」

と言われていました。

 

ありがたいことに、ふと神社となったことをとても喜んで私たちを応援していただいてます。

 

 

そして、思い起こせば天神橋の店の時何のしつらえもないのに 

「ここは神社みたいだね」とたくさんの方に言われ

ある方からは、

「あなた方が、そうゆう存在です」とも言われました。

 

 また、お客さまの龍と話せる少年からは

「ここ(異次元の間)は次元が違う」

「庭に熊野と同じ霧が上がってる」

「龍が集まって何か相談してる」

と何度も聞いていました。

 

今、通ってきた道をたどるとハッキリわかります。

 

箕面市の審査会の物件に入っていたら「ふと神社」になっていません。

 

なぜ、御簾や几帳(それも本物)といった神社そのもののしつらえをしていたのか?

 

笑ってしまいそうになりますが外濠を徐々に埋められていたんですね。

 「神社となるように!」とのサインはたくさん来ていたんです。

 

 

そして、今、そのときが来ました。 

 

「ふと神社」を楽しんでください。